9月17日

恐らく今日という日は、数十年後もしくはもっと近い将来に振り返ってみたとき
日本の現代史に確りと刻まれる歴史的な日となるに違いない。

良い歴史として刻まれるのか、それともその逆となってしまうのか。
思うにビジネスの世界と通ずる点は、それが結果でしか判断できない点である。

本会議での採決は明日に持ち越されるだろうが、僕は一人の日本国民として、
今回の採決が将来に「良い結果」をもたらすことを切に望んでいる。

偏向報道を続けたマスコミの主張も、大人たちに利用された若者たちも
純粋に反対・賛成していた老若男女も、政治家たちも、今日の結果ではなく
将来の、未来の日本に有益なことへ目線を変え、切り替えねばならない。

今日で全ての脅威が消え去ったわけではない、
むしろ今まで以上に様々な脅威が今後も我々を襲い続けるだろう。

それにしても、今までデモに参加していた人たちは、今後どうするのだろうか
プロの人は、原発の運動に切り替えたり、辺野古に行ったり相変わらず忙しく
各地で同じようなデモを続けるのだろう、ある種それが仕事だろうから。

アマチュアで純粋に安保法案に反対し、なんの他意もなかった人まで
感化されてそのような運動に釣られて参加してしまうようなことがあれば
残念でたまらない。

情報が溢れている昨今では、情報を仕入れることは昔ほど難しいことではない
最も困難な作業は、何が正しく、何が不正解か取捨選択し、自分の軸を明確にし、
自分の意見を確りと持つことである。

流れやレッテルに左右され、時に集団心理に陥り、悪意ある大人の思惑に嵌り
バイアスのかかった主張こそ正義だと信じ、物事の本質より感情論でひたすらに
反対し続けるだけではいつまでたっても前向きな未来は訪れない。

そんな人に限って、「外交によってこそ平和は保たれる、安保改正は必要ない」
と言うが、論理的に物事を判断できず、感情論だけで自己の主張をするような人間が
やったこともない「外交」を理想論だけで語るのは甚だ危険である。

外交は国と国との双方の利益確保の為の、相当にハードなネゴシエーションである。
国とは個人の集団でありながら個人そのものではない、個人レベルで通用するような
感情論で交渉が成り立つはずもなく、正論が通る道義も保証もない。

日本国内で、同じ日本人に対して、罵倒したり、威嚇したりするようなデモではなく
平和を乱そうとしている某国の大使館前でデモをしたり、油田開発を船に乗って阻止
しに行ったり、危険だが価値のあるデモは他に沢山ある。

しかしながら、今日以降、今までデモをしていた人たちがそのような
デモをしないことは明白である。

僕は、それが全ての答えであるような気がしてならない。

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