事を成す
子供のころに、よく両親、特に父から
「もし、生まれ変わって子供からやり直せるなら勉強しまくる」
といった趣旨の話を聞かされた。
まぁ、今となって冷静に振り返れば半分は本心で
残り半分は僕の勉強へのモチベーションを高める為の進言
だったのだろうと思う。
そんな父は、僕が18の時に病気で他界した。
父は、高卒だった自分の学歴にコンプレックスを感じていたようで
実際に学歴によっておそらく少なからず苦労をしていた。
只、僕はそんな父を尊敬していたし、周りの友達のどんな父親とも違う
オリジナルなスタイルを持つ父を誇りにすら思っていた。
父が実際に子供のころに勉強をしまくっていたとしたら、
恐らく僕と父親の関係も、僕という人間も全く違ったものになっていた
だろう、想像もつかないが。
人間には、
「あの時、ああしておけばよかった」というやらなかった後悔と
「あの時、あちらにしておけばよかった」という選択肢による後悔
この2種類の後悔があると僕は考えている。
後者は、どちらを選んだとしてもいずれかのタイミングで
選択しなかったもう一方を選んだ場合のシチュエーションを
人間はどうしても妄想してしまうだろうから後悔しても不毛だろう。
前者は、「やる」か「やらないか」という選択肢の問題ではなく
ただ単にやれたのにやらなかった場合に発生する後悔である。
やる場合とやらない場合が等しく価値があり、そのどちらかで
揺れ動き判断に悩むというのならどちらを選んでも結果は大きく
変わらないと思う。
ただ、世の中にあふれる「やらなかった後悔」は、
やった方がいいとわかっていても、ついつい易きに流れ
「やる」という選択肢を放棄した場合に発生する後悔なのだろう。
僕は、
父の分まで長生きをし、
自分が行きたい全ての国へ行き、
自分の決めた「事」を成し遂げ、
自分が生きた足跡を確りとこの世界に残す。
「やれなかった やらなかった どっちかな」
あいだみつお
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