INからOUT

昨日は、日曜日だったが京都で行われた新卒合同説明会に参加した。
とはいっても、当社は新卒採用ができるようなフェーズではないので、
クライアントの新卒採用の代行という形で参加させて頂いた。

会場は全面畳張りという珍しい作りで、古都京都の風情を感じさせる
趣深い建造物の一画、幕末に志士たちが密談をしていたであろうような
雰囲気の場所で行われた。

この時期になると、「就活慣れ」してきた学生が多く
ある程度受け答えもこなれた感じで、面接の回答も場数を踏んだ成果か
レスポンスが早く、内容も確りと纏められたものが多い。

しかし、いつも感じることだがアウトプットの苦手な学生のなんと多いこと
これも、幼少期からインプット偏重型の教育に慣れ親しんできた弊害であろう。

かくゆう僕自身も、アウトプットの重要性は理解しつつも未だ発展途上であり
常に自身の志向やマインドを第3者へ確りと発信するべく修行中の身である。

学生達を見ていて感じるのは、
「面接官の問いにどう答えれば正解なのだろう」
といった姿勢であり、決して間違えではないが正しくもない姿勢である。

企業そして面接官は、基本的にその企業が新卒として採用したい人物の基準を
ある企業は絶対的な物差しで、ある企業は相対的な評価で図り採否を決定している。

その評価基準は、「求める人物像」というなんとも抽象的な表現で記載されたいくつかの
センテンスから読み解くしかなく、なんとも難解で不安定な基準であるともいえる。

そんな中で、
「あなたを色で例えると」とか「動物で例えると」といった一見質問の意図が不明瞭な
面接官からの問いが投げかけられたとき、フリーズする学生は少なくない。

基本的には、この種の質問をする意図としては
「決まった正解のない問い」に対しての「リアクションスピード」と「論記的思考力」
つまりは「アウトプット力」を図る為であると認識している。

「1+1は?」とか「薔薇の読み方は」のような質問には正解とされる回答がある
しかし、「あなたはどう考えますか?」という質問は正解も不正解もない、あたりまえだろう
ほかでもなくその考えを持つのは自分自身なのだから。

あなたの考え方、なのだから「わかりません」という回答はありえないはずである。
「わからない」のではなく「アウトプットできません」が正しい答えだろう。

日本の若者は、覚えた方程式の事や歴史年表の事は流暢に語ることができても
自身の考えや意見を「アウトプット」することは不得手である。

はっきりいって、インプットしたものをそのまま他人に語るだけの行為をアウトプットと
僕は呼ばない、「アウトプット」とはインプットした様々な情報を自身のフィルターを通し
咀嚼し、自分なりの意見として発信しない限り成り立たないと思うからである。

僕は、成長とはどれだけ「アウトプット」することができるようになったかだと思うので
インプットだけは人一倍するものの、「アウトプット」できないような経営者にはなりたくない。

そう考えれば、僕という人格そのものが、
生まれて数十年様々なことをインプットをし続けたきた成果としての
アウトプットなのだといえる。

「アウトプット」することには、当然リスクが伴う
僕の発信することが万人から支持されるとは限らない。

それでも僕は「アウトプット」し続ける、
それが僕の選んだ生き方に於いて、どうしても欠かせない重要な能力だから。

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